ASAKUSA 浅草サンバカーニバル

バルバロスのあゆみ


1981年第1回浅草サンバカーニバル

浅草サンバカーニバルとバルバロス

 いまや東洋一のサンバの祭典にまで成長した浅草サンバカーニバルは、2010年で第30回目の節目を迎え、例年観客動員数50万人を超える浅草の夏の終わりの風物詩として定着しています。

 第1回浅草サンバカーニバルが行われたのは1981(昭和56)年のこと。戦前東京随一の繁華街として栄えた浅草の活気も下火になりつつあったころ、浅草に新しい催しを!と頭を捻った当時の台東区長内山榮一と喜劇役者伴淳三郎のアイデアだったと言われています。浅草寺の門前町として栄え、今なお江戸情緒の色濃く残る街浅草ですが、一方で江戸っ子は、大の新しもの好きでもあったのです。

 二人の発案からどのぐらいの月日が経ったのでしょうか。ブラジル視察団派遣などの準備を重ね、いよいよ1980年、プレカーニバルが開催されることが決まりました。出場チームの募集が始まる中、地元仲見世商店街からもチームを出そうじゃないか、とお声がかかったのが、三社祭などで仲見世の神輿を担いでいた『祭好会』の高橋重雄と諸橋稔でした。

 何の知識も無いまま出場したプレカーニバルでしたが、翌1981年第1回浅草サンバカーニバルでは、サンバってまあこんな感じだろっ!と仲見世商店街のドレス屋さんから金色の布を譲り受け、各自衣装らしく仕立てたり、ただ身体に巻きつけただけの人もいたり。

 お祭り好きを集めて始まったバルバロスでしたが、その後、サンバ楽器の講習会に来ていた見知らぬ少年や、サンバステップ練習会で出会った女性に声をかけたりという高橋・諸橋のゲリラ的勧誘活動が功を奏して、回を重ねるごとにブラジル音楽好き、ダンス好きが集まり始めました。創成期には既成曲をカバーしていた打楽器隊も(最初はカラオケに併せて楽器らしきものを叩いているだけだった)、1991年にはオリジナル曲『青-白の旗』を製作。そして1993年、テーマに沿って楽曲や衣装、アレゴリア(山車)などを製作し、ストーリーを展開しながらパレードするという、本場ブラジルに倣った現在のスタイルの礎が出来上がったのです。

 1980年、サンバなんて知らない神輿担ぎが“一回こっきり”だろうと引き受けたところから始まったバルバロス。あれから30年が経ちました。笑ったり泣いたり、ときには侃侃諤諤意見を戦わせながらひとつのものを作り上げていく。海の向こうで生まれたカーニバルに魅入られた300名が、2011年の今日もまた、このリズムの渦に巻き込まれています。

 大人が本気で遊んでいます。
 わたしたちは、東京・浅草のサンバチーム『G.R.E.S.仲見世バルバロス』です。

2011年 早春
星野清久/Presidente

※参考動画 第1回浅草サンバカーニバル